紺碧の夜に

140文字では足りない にじみだすような思い

涙の飛沫

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6年前。

夫(当時はまだ彼氏)と暮らしだしてから、日常で使う視力矯正道具のメインを、コンタクトレンズからメガネに変えた。

 

結婚が決まったから女子力上げなくてもよくなったということではない。

 

単純に、日々のPC作業で目の乾燥がひどくなってきたと感じたから。そして、車での通勤方向が西向きになり、太陽光線で目をやられることがなくなったからだ。(コンタクトだとサングラスができるが、メガネだとそれができなかった)

 


私の視力矯正メインがメガネになって間もなく、祖父が亡くなった。

 


高齢であった祖父は徐々に衰弱していき、終末期は祖母が自宅で介護をしていた。

なかなか回復しない祖父の様子を聞いていたし、そろそろ危ないかもしれないという予感はしていた。


そしてその予感が的中した。

けれども偶然であり幸いなことに、静かなその最期を、実子である母とともに看取ることができた。

 

それは、二世帯で暮らしていた祖父母の家に母と私が訪れた時だった。

 

ちょうど伯父夫婦が外出するところで、玄関で少し無駄話をした。その後、祖父の元に行くと様子がおかしい。

祖母に伝え急いでかかりつけ医を呼び出した。医師を待つ間、車に荷物を積み込み出かける準備をしていた伯父夫婦を、大声で呼び戻した。

 

結果として祖父は、妻・実子2人(母と伯父)・孫1人(わたし)・義娘1人(伯父の妻)に見守られて逝去した。

 

医師から臨終を告げられ、祖母・伯父・母が慌ただしく通夜・葬儀の手配を行う中、ぼんやり祖父の顔を見つめていた。涙は止まらなかった。

いくら心の準備ができるゆるやかな死だったとしても、悲しいもんは悲しい。

 

1か月ほど前、来年には結婚することを報告し、夫にもらった婚約指輪(父が準備しろと言ったのだ)を見せることができた。それが最後にできた祖父孝行だった。

 

ほどなくして祖父は、衣服を着替え入れ歯を入れ、蒼白だった顔色に血の気が戻った。

その過程を、その場にいた親族みんなで見つめていた。

祖父の体がこれ以上はないほどに丁寧に扱われているのを見ているのは、どこかうれしくもあった。

 

用意された遺影の祖父は、私がよく知る柔らかな笑顔だった。

 

まだシャキシャキ歩けた年の頃に祖父が一人で写真館へと出かけ、遺影に使うようにと撮影してきたのだという。祖母が困ったような泣き笑顔で話してくれるのを聞き、誇らしい気持ちになった。

 

私の祖父は、なんて格好いいんだろう。

 

通夜と葬式が執り行われた。

悲しくもあり、参列してくれる方々を見てどこかうれしい気持ちにもなりながら過ごした2日間だった。

 

大好きだった祖父がもう動かないのを少しずつ実感し、時折涙が流れた。どうせコンタクトなんてしても涙で浮いてしまうからと、2日共メガネ姿で過ごした。

 

するとどうだろう。

メガネのレンズがやたらと汚れた。

 

レンズを拭きながら、同じくメガネの弟にぼやいた。

 

「なんだかレンズがすぐ汚れるんだよね。水しぶきみたいな細かな汚れが付くんだよ…」

 

弟は言った。

 

「そうだね。まばたきで涙が飛ぶんだろうね」

 

 

ああ、そうか。涙はまばたきで飛ぶのか…。

 

目玉を覆った涙は、まつげをつたい、そしてまばたきの勢いでまつげからレンズへと跳ねる。

少し考えればわかるそのことを、私は祖父の死をもって初めて知った。

 

 

 

あれから7年。

毎朝、会社の自分のデスクにつくと、メガネを外してそのレンズを灯りにかざし汚れを確認する。

ああ、今日も汚れているなと、その汚れを拭う。

その度に、祖父と、飛び散った自分の涙を思い出す。

 

 

おじいちゃん、いま私は大好きな人と一緒に、元気にそして幸せに暮らしています。