「人生会議」のポスターについて、あれこれと話題になっていますね。
【参考リンク】
▶ WEB特集 「人生会議」炎上騒動 その後に何が? | NHKニュース
▶ 人生会議ポスターはなぜ炎上したのか:日経ビジネス電子版
私自身は、「人生会議」という取り組みは何かで耳にしたことはあるけれど、このようなポスターが作成されるほどの大きなものだとは知りませんでした。
▶ 「人生会議」してみませんか|厚生労働省
世間がザワザワして初めてこの騒動を知り件のポスターを見てみました。そしていくつかのネットニュース(新聞社発のもの)をざっと読んでみた思ったことを綴ってみます。
このポスターや賛否の意見について思うことは多々あるわけですが、その中のひとつとしてぽんと私の頭に浮かんだのはふたつ。
これを見た遺族は、「亡くしてしまった家族にこんな風に思われていたとしたら…」、と想像して拒絶したのではないだろうか。
これを見た患者は、「死に際にこんな風に思うなんて耐えられない」、と感じて激しい嫌悪感を抱いたのではないだろうか。
ということだった。
もしもそうだとしたら、このポスターはある意味で『よくできている』のだと思う。
「そうならないために」と感じて人生会議をしようと考える人が出てくる可能性、あるよね。とてつもない「インパクト」だと思う(小藪さんの表情含め)。
※あくまで、私個人が色々考えた中のひとつの考えです。
※「死に際に」としたのは、ポスターの絵面が「死に際」を現していると感じたので、敢えてそう表現しました。
人間、物心ついたころから「死」について考えること・恐怖することは多いと思うのだけれど、私がこの数年で一番「死」と「命」について考えたのは
- 2011年秋:愛猫が闘病の末、逝去した
- 2011年秋:祖父が入退院を繰り返した末、逝去した
という体験だった。
konpekinoyoruni.hatenablog.com
この2つはほんの5日間の間に相次いで起きたことであり、さらに、幸いにもその瞬間に立ち会うことになったため、「生と死の境目」について深く感じるものがあった。
また、ごく最近ではあるけれど、NHKスペシャルの「彼女は安楽死を選んだ」を見たことも、大きな衝撃となった。
※この番組は世間での反響もとても大きかったようです。
▶ 「安楽死を遂げた日本人」に密着 私たちに問いかけたこと|NEWSポストセブン
先述の体験をしてからはより強く、「生きるということは、死に向かっているということだ」と感じている。【どう生きるか】について考えるのであれば、【どう死ぬか】を考えることももっと日常にあってもいい気がしている。
とはいえ、現在進行形で生きている実両親に向かって「葬儀どうしたい?」とは、早く死ねと言っていると思われては悲しいからと、なかなか切り出せないものである。
実両親からは逝去後の希望はすでに聞いてあるので、ひとまず葬儀と眠りにつく場所だけは安泰である。しかしまだ足りない。本当ならもっと突っ込んで聞きたいのだけれど、決してうれしい話ではないので躊躇する。もっと「死に方」について話せるようになれたら、と思う。