紺碧の夜に

140文字では足りない にじみだすような思い

感情を持たないことが問題なのではなく、コミュニケーションのズレが問題を呼ぶ ―「良心を持たない人たち」を読んで―

「良心を持たない人たち」を読んだ。

数年前に読んだ、「他人を攻撃せずにはいられない人(片田珠美/PHP新書)」という本を思い出した。

職場で「攻撃する人・される人」を見ていて自分まで精神的に疲弊してしまい、もしも自分が「攻撃される人」になった場合にどう対処すべきかを予習しておこうと思い手に取った。

目の前で行われる「攻撃」は、なかなかにすさまじかった。

はっきり言って、私には理解できなかった。
攻撃する側の思考はもとより、攻撃されている側の人も。

攻撃されているその人は、攻撃され操り人形と化していることを自覚していながらも、自衛策を取ることもなく、それどころか、最低の状況にあるというのに「○○さんにもいいところはあるのだから…」などと言う。

まるっきり、洗脳されていた。

世の中には様々な人がいて、自分の想像が到底及ばない思考回路を持つ人が多々いる。
「他人を攻撃せずにはいられない人」だけではなく、「良心を持たない人たち」に登場するいわゆる「サイコパス」の思考なんて特に理解できないだろう。

 

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2016年夏に放送された「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」というドラマをがある。

www.fujitv.co.jp

波留さん演じる主人公の藤堂比奈子は、感情を持たない人物だった。サイコパスの一種と言えるかもしれない。

厳密に言うと、医学的に同じ診断結果であっても反社会性をもつ場合を「サイコパス」と言い、主人公・藤堂はそれとは異なるのだが、専門家ではない世間一般には「サイコパス」と分類呼称されてしまうと思う。

主人公・藤堂は感情を持たない人物でありいわばサイコパスなのだけれど、「良心を持たない人たち」に登場するような「他者への思いやりが絶対的に欠落し、手段を選ばずに自分の欲望を満たそうとする人」ではない。

どちらかというと、そうなりそうな自分を自覚しながらも「普通の人」として生きられるよう、懸命に「普通」を装っている。(警察官になったのはまた別の理由があるのだが)

同じ「感情をもたない人間」といっても、みながみな、「手段を選ばずに自分の欲望を満たそうとする」わけではないはず。

私の身近には、単純に「相手の立場になって考えられない」「相手の気持ちを想像できない」という人がいる。
喜怒哀楽はあるので感情を持たないわけではないけれど、他者への共感力が極めて乏しく、円滑なコミュニケーションができず困る場面が多い。(本人はできていると思っている様子だけども…)

また、最近よく取り上げられる発達障害を持つ人には、感情を持っていてもそれを表現できない人だっているだろう。(おそらく身近にいる別の人もこれに該当する気がする)

 

この「良心を持たない人たち」ではサイコパスに照準を当てているけれど、必ずしもそういう人たちだけが「自身にとっての悪」になるわけではないということは忘れずにいたいし、サイコパスではない他人とのコミュニケーションが苦手な人の中には、苦しんでいる人もいるのだということも、頭に入れておきたい。

とはいえ、自分を攻撃し道具・駒としてくる人間からは素早く逃げる・関係を絶つということは、変わらない。