紺碧の夜に

140文字では足りない にじみだすような思い

「人生会議」騒動から思ったこと

「人生会議」のポスターについて、あれこれと話題になっていますね。

【参考リンク】

▶ WEB特集 「人生会議」炎上騒動 その後に何が? | NHKニュース

▶ 人生会議ポスターはなぜ炎上したのか:日経ビジネス電子版

 

私自身は、「人生会議」という取り組みは何かで耳にしたことはあるけれど、このようなポスターが作成されるほどの大きなものだとは知りませんでした。

 「人生会議」してみませんか|厚生労働省

 

そこで。

世間がザワザワして初めてこの騒動を知り件のポスターを見てみました。そしていくつかのネットニュース(新聞社発のもの)をざっと読んでみた思ったことを綴ってみます。

 

このポスターや賛否の意見について思うことは多々あるわけですが、その中のひとつとしてぽんと私の頭に浮かんだのはふたつ。

 

これを見た遺族は、「亡くしてしまった家族にこんな風に思われていたとしたら…」、と想像して拒絶したのではないだろうか。

 

これを見た患者は、「死に際にこんな風に思うなんて耐えられない」、と感じて激しい嫌悪感を抱いたのではないだろうか。

 

ということだった。

 

もしもそうだとしたら、このポスターはある意味で『よくできている』のだと思う。

 

「そうならないために」と感じて人生会議をしようと考える人が出てくる可能性、あるよね。とてつもない「インパクト」だと思う(小藪さんの表情含め)。

※あくまで、私個人が色々考えた中のひとつの考えです。
※「死に際に」としたのは、ポスターの絵面が「死に際」を現していると感じたので、敢えてそう表現しました。

 

人間、物心ついたころから「死」について考えること・恐怖することは多いと思うのだけれど、私がこの数年で一番「死」と「命」について考えたのは

  • 2011年秋:愛猫が闘病の末、逝去した
  • 2011年秋:祖父が入退院を繰り返した末、逝去した

という体験だった。

 

konpekinoyoruni.hatenablog.com

 

この2つはほんの5日間の間に相次いで起きたことであり、さらに、幸いにもその瞬間に立ち会うことになったため、「生と死の境目」について深く感じるものがあった。

また、ごく最近ではあるけれど、

2019年6月:NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見た

ことも、大きな衝撃となった。

※この番組は世間での反響もとても大きかったようです。
 ▶ 「安楽死を遂げた日本人」に密着 私たちに問いかけたこと|NEWSポストセブン

 

先述の体験をしてからはより強く、「生きるということは、死に向かっているということだ」と感じている。

【どう生きるか】について考えるのであれば、【どう死ぬか】を考えることももっと日常にあってもいい気がしている。

 

とはいえ、現在進行形で生きている実両親に向かって「葬儀どうしたい?」とは、早く死ねと言っていると思われては悲しいからと、なかなか切り出せないものである。

 

ちなみに、実両親からは逝去後の希望はすでに聞いてあるので、ひとまず葬儀と眠りにつく場所だけは安泰である。
しかしまだ足りない。本当ならもっと突っ込んで聞きたいのだけれど、決してうれしい話ではないので躊躇する。もっと「死に方」について話せるようになれたら、と思う。