紺碧の夜に

140文字では足りない にじみだすような思い

リアルな手触り ―「知られざる皇室外交」を読んで―

世界にはたくさんの人(つまり人間)がいて、みな一様に自分の人生を生きている。

 

というのは至極当然のことで・・・いやまあ当然というか、事実で、そういうことは理解している。「理解している」とはつまり「知識として脳に刻まれている」ということだ。

けれども時折、夫や友人、同僚や上司と会話をしていると「私がそうであるように、この人の人生の主役はこの人で、私とは異なる五感や思考で生きているんだ…!」という突然の実感が、毛穴という毛穴から飛び込んでくることがある。

 

その時の感覚は、まるでパラレルワールドに入り込んでしまったような、摩訶不思議なふわふわしたものだ。

 

頭では理解していても実感していないことは数えきれないほどあって、痛みとか悲しみとか悔しさなどの感情だとか、恋人や友人との別れや、最愛のペットや大切な人の死など、どうしようもない現実だったりする。

ひとたび実感すると、その物事が突如、太く強い輪郭を持ち、目の前に立体としてむくむく立ち上がったような錯覚に陥る。

 

今年11月に行われた、令和天皇大嘗祭のニュース(生中継)をテレビで目にした時も同じ感覚に陥った。

 

大嘗祭」は2日間夜通し行われ、天皇陛下にとっては身体的に大きな負担となり、また、この儀式のためだけに専用の建築物(大嘗宮)を建立しその後取り壊すという、恐ろしいほど大掛かりで大変な儀式である。

 

ニュースキャスターがそういった説明を告げた後、大嘗宮のLIVE映像が映った。

それを見ていた私は突然、「これを、ずっとやってきたんだ。すごい…」と実感した。

 

あの大好きな「日出処の天子」や「天上の虹」、「なんて素敵にジャパネスク」「とりかえ・ばや」にこれでもかと出てくる、【帝】【天皇】たちの時代のころから、脈々と同じことが繰り返されていて、まさに今、私が生きるこの時間軸でも行われている…!

膨大な時間の積み重ねの中に、ずっと変わらないものがあるだなんて、どれだけすごいことなのか、もうそのすごさの想像がつかない。それでもとにかく、とてつもなくすごいことだ。

 

そしてそのとてつもなさを実感すると同時に、私にとっては「漫画の中の出来事」や「歴史」でしかなく、また、「歴史上の人」でしかなかっモノゴトが、いまテレビ画面の向こう側で大嘗祭を行っている天皇陛下にとっては、直系の先祖たちであり、その先祖たちが行ってきた「自分と繋がる出来事」なのだと、そんな事実が、やはり実感と共にぞわっと体を駆け上ってきた。

 

歴史に残る人の子孫であるとは、そういうことなのだ。
「皇族」とは、そういうことなのだ。
歴史を紡ぐひとりなのだ。

圧倒的な実感だった。

 

もちろん、何度も書いているように、「天皇」というのはそういうものであること、歴史とは実際にあったことなのだということは、「理解している」。

けれど、あの時のあの感覚で初めて、リアルな手触りで理解した気がする。

 

「知られざる皇室外交」では、多くの国の元首や王室と、日本の皇室との繋がりが記されていて、日本の皇室(天皇)が世界でどんな存在なのかがわかる内容なのだけど、日本の皇室(天皇)が特別視される理由は、1000年も続いてきた世界最古の王室だからだという。

他国の元首や王室は、それがどれだけすごいことなのか圧倒的な手触りをもって実感するからこそなのだと、いまならわかる。

 

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さいごに。

「知られざる皇室外交」を読んだのは、ちきりんさんのブログがきっかけです。皇室に関してあれこれ考える際、ちきりんさんのエントリーがとても面白くてわかりやすいので、リンクを貼って終わりとします。

 

ちきりんさんのブログより

日本人としての必読書
皇位継承に男女平等を持ち込むのは変でしょ
皇位継承問題より公務負担問題
「皇室外交の大きな価値」を理解しよう